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北海道 中川町から kajikenが発信しています。

オタクの部屋

kajikenのあまり一般受けしない(笑)マニアックな趣味を紹介。
趣味をとことん追求するのではなく、移り気な性格はオタクになりきれていないかも・・・。

ユーノス ロードスター

バブル経済も終盤の1990年に新車で購入したユーノスロードスターも、さすがに20年以上乗っていると、あちらこちら痛みが目立ってきます。アニメのカッティングシートでも張れば、これも痛車の仲間入りでしょうか・・・。
まあ、そんなダジャレはさておき。
以前から幌の痛みが気になり交換を模索していたのですが、2013年5月についに決行することに。
ディーラーに頼むとかなり高額なこともあり、HPで見つけた輸入幌の販売店より取り寄せ、DIYで交換することにしました。

往年の名車「ユーノスロードスター」

つづきは、こちら


ラジコンヘリ

1995年の11月に、1機目となるラジコンヘリコプターのヒロボーのシャトルZXXの組み立てキットを購入。音威子府の先輩の指導を受け、オタクの第一歩を踏み出す。
翌年には、町内の先輩に「大きい機体のほうが風に強いし飛ばしやすい」とそそのかされ、JRのエルゴ60を購入。
「空を飛ぶ物、いつかは地上に落ちる」を現実として受け止め、多大な修理代を工面しながら操縦技術の研鑽に励む。
途中、子育て等で忙しく、ラジコン熱も多少冷めたことから、数年間の練習中断。しかし、空物のラジコン愛好者の愛読書、月間「ラジコン技術」の購入は欠かさない。
再度、ラジコンオタクに復帰するため?2003年にヘディングロックジャイロを購入。新たな投資がきっかけとなり、練習量は減ったものの、空を飛ぶ爽快感を再確認する。
2008年には、3機目の機体、JRのエアスキッパー50を購入。スピード、舵の切れ、安定感など一昔前の機体との違いを肌で感じる。

JR(日本遠隔制御)製のエアスキッパー50


WRC(世界ラリー選手権)

車好きの原点となったのが、1970年代の「スーパーカーブーム」。
池沢さとし先生の「サーキットの狼」を愛読書に、スーパーカーカードや消しゴムなどを集める。
1980年代後半から90年代にかけては、F1ブームに巻き込まれ?中島悟、ナイジェル・マンセル、ジャン・アレジを応援。
そして1995年、セガラリーチャンピオンシップがアーケードゲームに登場し、WRCの魅力に目覚める。その後、セガサターン版、ドリームキャスト版、プレステ2版の同ゲームを買い集める。
2004年に十勝でラリージャパンが初開催されるが、諸般の事情から観戦に行けず涙を飲む。
そして、2010年。ついに6回目となるラリージャパンを初観戦。ビデオに写真にサインもと欲張る強引な行程に、筋肉痛というオマケが付いたのは言うまでもない。

2010年9月に開催されたラリージャパン。
次回の開催はあるのか?


写真、ビデオ映像はこちら。


セガ(家庭用ゲーム機)

今でこそ、TVゲームはほとんどしなくなったが、若いときは業界の策略?にすっかりハマってしまった。
ゲーム機との出会いは小学生の時のこと。
まだ、同級生もほとんどがテレビゲームを持っていなかったと記憶しているが、家業の景気も良かったからか、父が突然エポックのシステム10というテレビゲームを買ってきたのである。
それは、ダイヤル式のコントローラーが本体に左右2個づつ付いていて、光線銃も付属。
ラケットに見立てた棒で玉を打ち合うピンポンやらサッカーやらのゲームと、動き回る標的を光線銃で撃ったり出来た。
ただし、色は白と緑の2色で、光線銃は部屋を暗くしないと遊べなかったが・・・。
それでも、当時はものめずらしいこともあり、家は友達が大勢遊びに来てごった返していた。
その数年後、同級生がブロック崩しのテレビゲーム機を買った。
それはフルカラーで、ゲームセンターにあるテーブル型のものとほとんど変わらない出来栄え。
すごいなぁーと感心したものである。
そして、 私が高校生の時、ゲームセンターに足繁く通っていたが、その中でも熱中したのが任天堂の業務用ゲーム機「マリオブラザーズ」。
それが、ファミコンなる家庭用ゲーム機に移植されると聞けば、もうびっくり。
1回100円で夢中になっていたゲームが、ファミコンさえあればタダで・・・、いや、正確には初期投資が必要だが元は取れるかもしれないと思った。
数年間、ファミコンと共に歩む堕落した生活?が続いたが、1990年、任天堂から次なるマシン「スーパーファミコン」が発表された。
しかし、私には気になるマシンがあった。1988年の10月に発売開始となたセガの家庭用ゲーム機「メガドライブ」である。
すでに社会人となっていた私は、VHSとベータの競争を見て、「発売後すぐに飛びつくのは失敗のもと」と薄々感じていたこともあり、模様眺めをしていた。
だが、1991年に「メガドライブ」から当時ゲームセンターではまっていた「アウトラン」が発売されたのが決め手だった。
「あの爽快なゲームが家で出来るなんて、なんと素晴らしいことか・・・。」「ゴール先で違うエンディングも、これですべて制覇できる。」と浮かれたものである。
世間一般ではスーパーファミコンの方が人気があったが、ハングオン、スペースハリアー、アフターバーナーなどの体感ゲームなどで技術力を魅せつけていたセガに心酔していた私は「打倒スーファミ、メガドラばんざい」と、当時のオタクの世界でいう「セガ信者」一直線であった。

セガの家庭用ゲーム機「メガドライブ」

つづきは、クリック


続々追加予定?

スーパーカー、マンガ、ペーパークラフトも載せようかなぁ・・・。あの、アイドルも???

オタク、オタク、オタクの部屋・・・。


information店舗情報

北海道中川町

人口 約1,900人
面積 595平方キロ
産業 農業、林業
観光 博物館、温泉、道の駅
気候 冬はとても寒い